選択理論心理士のナミです。
夫・妻・子ども・親・兄弟姉妹に対して「なんでこの人はこんなことをやり続けてるんだろう?」と思うことがあります。
例えば「ものすごく痛くて、待ち時間と通院期間が長くて、お金のかかる歯医者に通い続けている母」とか。
「えっ、まだあの痛い歯医者に行ってんの?」
「待ち時間すごく長いよね?」
「こんなに通わせるって、ヤブ医者じゃないの?」
「お金もったいないよー!」
「もうやめなよー!」
「他にいい歯医者あるよー!」
母以外の家族は口々に訴えます。でも母はいっこうに首を縦に振りまえせん。みんな母のために言っているのに。どうして母のことを変えられないのでしょうか。
「人を自分の思うように変えることができる」と考えている人はいると思います。でも選択理論心理学では「人は変えられない」と考えます。「すべての行動は相手の選択」「相手の行動を選択できるのは相手だけ」という前提にあります。
- 外的コントロール・・・人は外側から動機づけられる。人を変えたくなれば外側から刺激を与えて変えることができる。
- 内的コントロール(選択理論心理学)・・・人は内側から動機づけられる。相手の行動は相手の選択によるので、人を思いどおりに変えることはできない。
私たち人間は「自分のことは自分で決めたい」という欲求を持っています。なので、どんなに心配されて言われたことでも、善意のアドバイスだったとしても、「あ!そっちの方がいいね!」とならなければ、行動が変わることはないのです。
母以外の家族は「痛くない方がいい」「待たない方がいい」「マシンは新しい方がいい」「治療期間は短い方がいい」「お金がかからない方がいい」「先生は爽やかで優しい人がいい」といった価値観を持ってアドバイスしていました。
でも母が大事にしていた価値観は「待ち時間が長いのは大した問題じゃない」「痛くても麻酔や薬はなるべく使ってほしくない」「丁寧にやってもらってるんだから、回数も料金もかかっちゃうよね」「慣れている先生が安心なのよ」でした。母の価値観と母以外の家族の価値観が異なることが多かったのですね。
選択理論心理学では「外からの刺激はただの情報」と考えます。周りの人がいくら良かれと思って情報として伝えたとしても、どの価値観を重視して決めるのかは母次第なので、その決定は周りがコントロールすることはできなかったのです。
「人は変えられない」と一言で言ってしまうと少し飛躍しているかもしれません。でも「人は外側からの刺激に反応して行動するのではない」、「周りが伝えられるのは情報だけである」、「相手には生きてきた時間の分だけ積み上げた価値観がある」、「最終的に決めるのは相手である」という流れが理解できると「なるほど、人って変えられないんだな」と納得ができます。
このような前提を持ち、自分の正論を振りかざさずに相手の価値観を尊重する関わりができるようになると、人との関係性は離れにくくなります。それと同時に、自分の側も「変わってくれない相手に自分が振り回されている」というストレスを受け続けることがなくなりますね。
では、また!
※この記事は、わたし個人の経験を選択理論心理学に当てはめ、見方を変えたり改善対策している一例です。
私たちが与えることができるもの、他の人から受け取るものはすべて、情報である。その情報をどう処理するかは、それぞれの選択である。
『グラッサー博士の選択理論』p549
選択理論心理学で考えてみると?