※注意:今回は、投稿の中である虫の名前を連呼します。苦手な方は無理せずご退出ください
選択理論心理士のナミです。
誰かから繰り返し言われていることがあるとします。
「えー今じゃないとだめなの?」
「うーん、やる気しないんだよね~」
なんてこと、ありませんか?
「うんうん!」「あるある!」笑
では、人はいつ必要性を感じて自発的に行動をするのでしょうか?
私の昔の「やる気しないんだよねー」はこんな感じでした。
部屋が散らかっている。
母親が片付けなさいと、脅しがてら言ってくる。
私は散らかっていても困っていない、むしろ手元にいろいろある方が居心地がいいので片付けません。
片付ける必要性を感じていないのです。
選択理論心理学の考え方でいうと「外側からのどんな刺激があっても、私は片付けないことを「自分で選択」します」という状況です。
数年後、私は一人暮らしを初めました。
ほどなくして、私はあることがきっかけとなり猛烈に片付けようになりました。
「私は人から言われたからではなく、片付けることを「自分で選択」します」という状況です。
いったい何があったのでしょうか。
忘れもしないあの夏の日、仕事から帰ると、大きなゴキ◯リがいたんですね!
今までは家族が退治してくれていたけど、自分でなんとかしないといけない。
私は恐ろしい想いをしながら半泣きで一晩中ゴキ◯リと格闘し、夜明けごろやっとの思いで亡骸を家から持ち出すことができました。
あぁ、こんな散らかった部屋での格闘って、無理ゲーだよ。。
床や服や雑貨はスプレーでベタベタになったし。。
もう2度とこんな恐ろしく過酷な経験はしたくない。。
選択理論心理学では、人が行動する理由を以下のように定義しています。
- 5つの基本的欲求を満たすため(生存、愛・所属、力、自由、楽しみ)
- 願望を手に入れるため
- 現実と願望の差を縮めるため
- 快感を得るため
- 苦痛から逃れるため
このときの私には、猛烈に⑤が当てはまりました。
ワンルームでゴキ〇リと同じ空間に暮らすなんて耐えられません!!(しかも寝床は敷布団)
「困った!→今までのようにはいられない!→片付けたい!」という変化が、私の内側から起こりました。おぉ!これこそ「内発的な動機」であります。
「床には家具と家電と災害用備品の段ボールしか置かない!生ゴミは冷凍庫に保管!」と決めて掃除し続けています。
その甲斐もあって、あれから10年以上、家の中でゴキ〇リに出会ったことはありません(ささやかな自慢です)。
外側からどんな刺激を受けても、自分自身が必要と感じない行為は自発的には行われないんですね。
私にとって「片付ける」ということは、人から言われてではなく、困り事を経てようやく身についた生活習慣でした。
「困った!」に出会うと人は成長できるといいます。
あの夏の日、「不快だけど片付けるのは嫌だから、頻繁に駆除薬を使おう」とか、「諦めてゴキ○リに慣れよう」という選択肢もあったのかと思います。
でも不快をそのままにせず「困った!」を自分で何とかしようとする力は、人生の色んな場面で必要になるものです。
ひとつひとつ、乗り越えてきた成功体験があると、「今までもやってきた、次もできるかも」という自信に繋がるかもしれませんね。
「困った!」はある日突然やってくるものです。
そんなとき、自分の理想を下げないように生きていけるようなチャレンジをする、そんなことも意識できるといいですね。
来年は、コバエにも会わないような部屋を目指したいと思います。
では、また!
※この記事は、わたし個人の経験を選択理論心理学に当てはめ、見方を変えたり改善対策している一例です。
どんな行動も心の外側で起きることが原因ではない。人の行動が外側の力によって決まるなら、私たちは生きている人間としてではなく、機械のように行動していることになる。生きているから、そのときの目標を遂げられるかによって選択できる。すべて内側からの強力な欲求を満たす行いである。
『テイクチャージ 選択理論で人生の舵を取る』p24
選択理論心理学で考えてみると?