選択理論心理士のナミです。
8月15日は終戦記念日です。
実は私は子どものころから、戦争の夢でうなされることが多いです。
原爆と空襲と銃撃戦…私が戦争の存在を知ったのは幼稚園のときです。しかも、核戦争などによる人類滅亡までを示す世界終末時計は3分前だという。。。
私は「この世は地獄だったのか」と絶望しました。
いつ戦争が始まってしまうのかと、恐怖と緊張の中で子供時代を過ごしました。
幼稚園に行っている間に戦争が始まったら、もう家族とは会えないかもしれない、そんな覚悟もしました。
園庭で遊んでいると、ときどき飛行機がものすごい音を立てて低空飛行してくることがありましたが、そんなときはもうパニックでした。
どうして他の人はのんびり安心していられるんだろう?あぁ何も知らない子どもは気楽でいいなぁ、もうこの世界はダメかもしれない、私はどうしたらいいんだ。。
このときの私のグラグラした感情を、選択理論心理学の「比較の場(天秤)」から考えてみましょう。
平和な世界であってほしいのに、戦争のある現実。
願っていることと現実に差があると、天秤のつり合いが取れなくなって傾き、人は何かをせずにはいられなくなります。
天秤の傾きが収まるまで、考え続けたり、行動し続けます。
戦争を止めたい!でも子どもの私は、すぐに自分の無力に気がつきました。
私は父に聞きました。
「お父さん、もし核戦争が起こったらどうなるの?」
「お父さんがそんなことさせないから大丈夫だよ~」
「でももし起こったら、どうなるの?」
「そうなったら、ピカッ!ドーン!でもう終わりだよ」
「終わりって、何秒くらい?」
「う~ん、10秒くらいかな」
私は、もしも核戦争が起きても10秒だけ苦しみに耐えれば終わるんだ、と最悪の場合の覚悟を決めて自分を落ちつかせました。
これが私が最初にやった、天秤の傾きを少しでも抑えようとする取り組みでした。
それから何年もの間、平和への期待と絶望を繰り返し、私は選択理論心理学と出会いました。
選択理論が実践される社会では、人と仲良くすることが強調され、他人を強制することはずっと減る。互いを裁き合う理由はなく、違いについては交渉する努力がもっとなされるであろう。力のある人は、人を支配することよりも、仲良くやることのほうがもっと力の欲求を満たすことに気づくであろう。このような社会では、力の欲求を処理する術を学ぶことになる。私たちが自分たちの心理学を変えれば、そんな社会も夢ではない。
『グラッサー博士の選択理論』p73
私は平和な世界にするために、世の中に選択理論心理学を広めようと決めました。
選択理論心理学は、教育を軸としたパブリックヘルスモデルです。これは「世の中の人みんなが身につけると、世の中全体の幸福度が上がる」という考え方です。
この考え方が世界中に広がり、実践する人が増えて「誰かから奪うのではなく、自分の幸せを周りの人たちと調整していける」誰もがそんな風に生きる世の中になったとき、戦争はなくなると信じています。
戦争への脅威はまだ続いています。
そう感じれば感じるほど、なにかをせずにいられない私は、選択理論心理学を伝えたいと思うのです。
では、また!
※この記事は、わたし個人の経験を選択理論心理学に当てはめ、見方を変えたり改善対策している一例です。
選択理論心理学で考えてみると?