選択理論心理士のナミです。
コロナ禍において、その報道時間は他のニュースよりズバ抜けています。
情報のスピードや真偽に注意を払っている人も多いと思います。
「これが正解だよ!」
「新事実が出たね!」
「なんで現実をわかっていない人がいるのかね」
「専門家でも言ってることが違うんだけど・・」
「いやいや、こっちが真相だから!」
同類の報道でも捉え方が違う人、別の角度からも情報を集める人、さまざまです。
ときに白熱した議論になることがありますが、なぜ人によって現実が違っているのでしょうか?
選択理論心理学では、脳の働きを図にした「カラーチャート」があります。この内容を「チャートトーク」で説明しているのですが、現実世界が人にどう取り込まれているかが表されています。
- 自分の五感をとおして取り入れて認識できた一部分にすぎない
- 取り入れたものは「肯定的」「中立的」「否定的」に価値がつけられる
- 他の人は自分と同じようには世の中を認識していない、人それぞれ違う
私たちは現実世界にある情報を、どれくらい拾えているでしょうか。
森羅万象あらゆる情報を自分の五感から取り入れることはできないので、情報番組などから間接的に現実を知ろうとしています。
この現実とは他の誰かが取り入れた情報の中から、価値があると判断されたものに過ぎません。
既に否定や肯定の意味づけや様々な装飾がされたものですから、なんらかの意図を持つといってもいいのではないでしょうか。
発信する人、受け取る人によって現実は違ってくるものです。
- テレビや新聞から情報を得ている人
- テレビや新聞をまったく見ない人
- YouTubeだけを見ている人
- 感染者と毎日接している医療従事者
- コロナが発生したといわれている場所にいた人
- 報道内容を選ぶ立場の人
- 法律や規定を変える権限を持っている権力者
すぐに思いつくものだけでも、人の数だけ現実の種類が存在することに気づくでしょう。
グラッサー博士は「完全な客観性はあり得ない」と言っています。
選択理論でいう「事実」「客観」「常識」とは、ある一時点で大多数の人が信じているもののことをいいます。
例えば、時刻や物の名前については誰もが同意していますが、忘れてはならない重要なことは「他の人は自分と同じようには世の中を認識していない」「常識は変わっていく」ということです。
コロナ前と今とでは、常識が大きく変わりました。
- 1年中マスクをする
- テレワークが推奨される
- 好きなタイミングではお店に行けない
「今日の常識は明日の非常識」という言葉があります。
今とは違う内容の報道がされれば事態は一変するかもしれないし、同じ状況が続いたとしても医療の進歩によって生活様式は変わるかもしれません。
立場や属する組織が変われば、見方も変わるかもしれません。
「現実世界」は、ひとりひとり見え方・感じ方・捉え方が全然違うし、「常識」も移り変わっていくことがわかりました。
そこのところを抑えているかいないかで、人間関係にも大きく影響してきます。
「事実かそうでないか」を突き詰めていくと、「私は正しい、あなたは間違っている」という争いになることがあります。
「私は事実を知っている」という想いから、「事実かもしれないし、違うかもしれない、その上でどうするか」という中立的な視点を挟むと、「正しさ」という束縛を緩めることができるかもしれませんね。
withコロナ第5回目は「現実世界が人の数だけあることを知って、受け入れる柔軟さを持とう」でした。
今回のような時代の変化を感じるときに、ぜひとも持っていたい重要な視点です。
では、また!
※この記事は、わたし個人の経験を選択理論心理学に当てはめ、見方を変えたり改善対策している一例です。
力ある人の信条に反対することはむずかしい。私たち各々にとって、受け入れるのはむずかしいようでも、現実とは、多数、あるいは重要な人物、あるいは権力のある人が「現実である」と言うものと深く関係している。最終的には、私たちは他人の同意には無関係に、自分にいちばん都合のよいように現実を定義する。
『グラッサー博士の選択理論』p85
選択理論心理学で考えてみると?